会社経営していていつも高級車を乗りまわし、家ではツモリチサトの部屋着を着て同じ服を着ていることがほとんどなかった茨城に住むお洒落なおばあちゃんが、いつの間にか80歳になっていた。
お酒もすごく強くてわたしが20歳をすぎてひとりでおばあちゃんの家に泊まりに行ったときは、ふたりでずっと梅干し入りの焼酎お湯割りをのみながら、ひいおばあさんに嫁いびりされて出産直後なのにごはんがもらえず米のとぎ汁を飲んでいたとかいろんな話をした。
そのひいおばあさんは結局103歳くらいまで長生きして、最後はおばあちゃんのポケットマネーで盛大なお葬式をして、おばあちゃんはもともと見た目からして極妻っぽかったけど、そのときの喪服の凛々しさはほんとうに半端なかった。だけどそういえば、その半年後くらいに20年以上寝たきりだったおじいちゃんまで亡くなって、芸能人みたいにお花でいっぱいのお葬式をしたときは、なんだかおばあちゃんだいぶ小さくなったなあと、思った。おばあちゃん自身はいたって元気で、そのときは、わたしは宗教のことはよく分からないけど「山伏のところで修行したお坊さんが来てお経がおもしろいから京都から大変だと思うけどおいで」と電話をくれた。
わたしが京都に来たばかりのころは、京都の桜が見たいと言って遊びに来てくれて、一日タクシーを借りきって京都の桜の名所をだいたい全部まわったこともあった。
そんなおばあちゃんから、今朝、「IKKOさんのディナーショーに誘われてるけど、着ていく服がないから行きたくない」と電話がかかってきた。あんなにお洒落が好きだったおばあちゃんがちゃんと年月分の年をとっていてその現実にショックを受けた。
地元を離れているからなかなか会えなくて、だけど地元にいる間になんにもできなかった反動で毎日好き勝手やって生きているうちにものすごい時間が経っていた。
わたしがいつもの感じで「フランス人は年をとるとみんな黒い服しか着ないらしいから、なんでもいいから黒い服を着てアクセサリーつけたら素敵になるから大丈夫だよ」と言ったら、少し前向きになっていた。
わたしのおばあちゃんの家はわたしの育った街以上に田舎で、たぶん村に一本しか大きな道がない車に乗れなかったらどこにも行けないようなところで、若いひとともぜんぜん接する機会がないことにだいぶこたえているんだと思う。
わたしのそんな一見適当な意見でも、おばあちゃんにとってはたぶん、考えが180度くらい変わるくらいに新鮮な意見だったんだと思う。考えといっても、IKKOさんのディナーショーについての考えだけど。
最近通っている短歌教室の先生はおばあちゃんよりも10歳以上上だけど、車椅子でどこへでも行って、わたしの作る短歌を読んでは「わたしの年になるとこんな短歌は逆立ちしても作れない。毎回読むのが楽しみ」と言ってくれる。
こないだ一緒にごはんを食べた保育園児の男の子は、ほかの大人に向かって突然「お前はおしりだ!」と言い出して、感動してしばらく笑いが止まらなかった。若さっていうのは、もうそれだけで周りにとっての力になるんだと思う。わたしはどう逆立ちしても、誰かのことをおしりだなんて断言できない。感動。
わたしは自分の(おばあちゃんと比較しての)若さを、ぜんぜんおばあちゃんのために使えていないことに愕然とした。わたしは娘の母親である前におばあちゃんの孫なのに。
そんなことを考えていたら、しばらく顔を見ていなくてどうしてるのかな、と思っていたお客さんが久しぶりにお店に顔を出してくれた。だいぶ憔悴しきっていて、事情があって警察に拘留されていて、やっと出られたからほっこりしたくて寄ってくれたと言っていた。事情を聞いたら、そんな状況のときにわたしのことや店を思い出してくれてよかったなと思った。ほっこりしそうなもの、と手渡した商品を「わあ」と喜んで買ってくれて、偶然わたしがここで店を始めることになっていろんな縁がつながって偶然その商品がここで売られることになってよかったなと思った。
落ち込んだときの対処法は人それぞれだと思うけれど、わたしの場合はこの33年の人生、だいたいのことは本を読むことが解決してくれた。それはある意味逃げかもしれないけれど、向き合って向き合って立ち直れなくなるなら、どうせほかにも道はあるんだし逃げたって別にいいと思う。地元がぜんぜん好きじゃなくて、何をやってもあんまりうまくいかなくて、だけど本を読んでばかりいたからここではないどこかがちゃんとあることも知っていた。周りはどんどんヤンキーになって行ったけど、たぶんここから出たら変るんだろうなと思ってまずは高校に入るための勉強をしてその次に大学に入るための勉強を一生懸命したらやっぱり人生が変わった。大学に入るために勉強するんじゃないって言うひともいるけど、わたしは小さいことでいいから成功体験を何個も持っていることだっていいことだと思う。いっこ燃え尽きたら、また次に燃えられることをみつけるまで燃え尽きていればいいと思う。
小学生の娘は生まれたときから京都という都会に住んでいて、自分がやりたいと思ったことはなんとしてでもやろうという実行力を持ちながらちゃんと周りとの歩調も合わせようとしている、たぶん親の贔屓目でなくても人間が出来た子だ。何より話していて楽しいしかわいいし、コミュニケーション力が高いからぜんぜん本を読まないのに世の中のことをとてもよく知っている。わたしはたくさん本を読んで今の自分を作りあげたけど、このあいだ娘のことを笑わせようと思ってちょっとウィットにとんだギャグを言ったら、「ママのその発想がすごい」と余裕のコメントであしらわれた。あしらいつつも天真爛漫に爆笑して受け入れてくれて、ああこの子はまっすぐ育っている、と安心したりもした。
いまいろんなことがあんまりパッとしなくて、ちょっと悩んでいる。これまでも、もしかしたらこの悩みを誰かに相談できたりしていたらいろんなことがもっとパッとした感じに変わっていたのかもしれないけど、昔からどうも相談というのが苦手で、結局あんまりかわいげのない感じになる。誰かを傷つけるかもしれないと思って、決断できずにいることもある。たぶん今のままのほうが、いろんな意味でよっぽど消耗してるのに。決断する前に、というかしながら、やらなきゃならないことがたくさんありそうなことにも愕然とする。
おばあちゃんは電話を切る前に、今はまっている健康法は何かと聞いてきた。わたしは割といつも新しい健康法を探しているので、最近知って感動したマッサージについて興奮気味に話した。おばあちゃんは興味津々に聞いてくれたけど、「そんなのこっちにはないわー。まいっか、いずれ死んじゃうし」と笑っていた。わたしはそれを聞いて、わたしはまだだいぶ生にしがみついてるなあと思った。ただただ心地いいなかで生きていたい。そしてわたしよりも人間が出来ていて、自分のきらきらした若さをちゃんと周りのために使っている娘に教えてあげられることも、生にしがみつくということくらいしかないなあと思った。離れているおばあちゃんのためにできることはなんだろう。今更何をと言われるかもしれないけど、たぶんいろんなことをちゃんとしなければならない時期にきている。
先週の鴨川。
「しまだのてんじ」から、こちらの文章に行き着きました。
おばあさまに会ってみたくなる、素敵な文章でした。
わたしは占い師ですが、自分はだれかに相談するのが苦手なので、そのお気持ちわかります。
けれど、縁もゆかりもない占い師に話してみるのもいいかもしれませんよ。
えっと、宣伝するつもりじゃないんですけど、わたし自身がお話してみたいな、と思ったもので。えへへ。